「いしずえ通信 第47号」を掲載しました。

当会杉村義広代表理事が基礎構造に関わるいろいろな問題についてコメントする「いしずえ通信」。

今回は、第47号「まだまだ多くの方々が行方不明となっている…」を掲載しました。

被災地のひとつ宮城県名取市在住の代表理事が、東日本大震災の行方不明者を扱った感動的なテレビドラマについて述べたものです。

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いしずえ通信第47(2019.11.21) 

     まだまだ多くの方々が行方不明となっている…

                   (一社)基礎構造研究会代表理事 

                              杉村義広

 東日本大震災〔東北地方太平洋沖地震(2011.3.11)が正式名称であるが、日付から「3.11」の略称で呼ぶことも多く使われている〕が思い起こされるテレビ番組が続いてあった〔TBCテレビドラマ「小さな神たちの祭り」11/20(水)20:00〜21:57と11/21(木)の早朝NHKニュース〕。

 ニュースの方から述べれば、自動車運転教習所の事務員を務めていた若い女性を一人娘としていた夫婦が、発見された我が子の遺体を抱いて、ようやく帰って来てくれたと喜んでいる姿が放送されたものである。ただ、遺体といっても一部であり、それも歯形の一部であって、嬉しそうに抱いている骨壺が大き過ぎる悲しみを表していて胸が裂ける思いをさせられた。DNA鑑定で身元が判明したとのことであるが、そのようなものだけでも身内の者にとっては大切であることが伝わって来て、あの震災の惨さが改めて思い起こされた。

 バックには2500人の行方不明者が未だにあるとのナレーションが流れていた。そんなに多くの人々が残っていたのかと今更ながら驚かされたので、改めて河北新報の一面の欄外を調べてみた。20191121日現在全国で死者15,898、行方不明2,531の数字が並んでいる〔河北新報は地震以後、死者と行方不明者の数を一面欄外に示し続けているのである〕。地震直後には行方不明者の数も大きく変わっていたりしたが、その後は変動が少なくなって同じ数字が続いていたりしたが、最近になってこの報道があったために一人減ったものと想像される。しかし、88ヶ月経ってもまだ2500を優に超える数字が記載されていることを考えると、このまま行方不明者の数があまり変わらずに、地震の記録書などに残されることになるのだろうと思わざるを得なかった。惨い震災であったと、残念さが拭えない。

 テレビドラマの方は、宮城県亘理町のイチゴ園を営む家族の長男である若者が、東京の大学へ通うために故郷を離れた時に震災を経験し、自分一人が生き残った後ろめたさを持ったまま生きている姿から始まる。とくに東京に行ってみたいと言っていた弟をどうして連れてこなかったのかとの後悔がいつまで経ってもついて回るが、そうした姿を慰めてくれる若い女性〔幼稚園の先生をしている魅力的な女性として描かれている〕と恋仲になる。ある日、仙台に戻り、夕暮れ時にタクシーに乗ると、その運転手がかつて一緒に暮らしていたおじいちゃんで、津波で流された筈の自分の家につれて来られる。そこには両親や弟、好きだった子犬まで昔と変わらぬ生活をしている、といった不思議な体験をする。

 二度目の時には恋人も連れておじいちゃんの運転するタクシーで家族のいる自宅に行くことになり、残って生きている二人と死んだはずの家族が普通に会話をしている状況となる。母親が恋人の若い娘に自分の息子をよろしくと頼んだり、弟が親父のイチゴ栽培を受け継ぐことに決心したと言ったりして、こちら側と向こう側の人間が普通に話し合う場面が無理を感じさせず進行する。死んだ人間の誰もが“生き残った者こそ幸せに暮らす責任がある”との主旨を発言するなど、本を書いた内館牧子の優しい人間観が溢れるドラマである。

 隣近所の大人たちや、多くの子供たちも集まってきて祭りの準備をすることになり、こちら側でも灯籠流しをすればあちら側からもよく見えるだろうということになった〔祭りの主役である子供たちが神のように見えることがドラマのタイトル「小さな神たちの祭り」の所以である〕。灯籠の製作に時間が掛かり、この世に帰ることが出来なくなるのではないかと気になり出した恋人が一人この世に戻ろうとしてあちこちを歩き回り、通りかかった郵便自動車に送って貰おうと声を掛けても、郵便物を運ぶことが本務だからと断られてしまう。

 しょんぼりとしているところを心配した子供たちに探し当てられるといった場面がいくつか繰り返された後、灯籠流しも無事に終えることになり、夜明け前になってやっとこの世に戻ることが出来る。これらの体験に影響されたせいか、若者は自分がこの世に残った責任を感じてイチゴ栽培を一生の仕事として受け継ぐことを決心するとともに、若い娘にその生活を共にするよう結婚してくれないかと申し込む。大団円はその結婚式が行われている教会の場面である。参列者の背後に、あの世で嬉しそうに祝福している近所の人たち、とりわけ子供たちの狂喜乱舞が微かにオーバラップされている。結婚した二人が夜の星空を見上げると星々の中でひときわ目立っているのが天の川であり、子供たちが流した灯籠であることを象徴している。ほのぼのとした感想が残る。

 このドラマは、この世とあの世の人々の交流という珍奇な題材であるにも拘わらず、違和感なく見られたのは亘理町という地域独特の方言が進行の要になっていたせいかも知れない。

 「3.11」は、地震工学の研究者の一端を担っている筆者にとっても、そろそろ終わるかと思えば寧ろ地動がより大きくなる複数の地震が続き、我が家も壊れるかと思われるほどギシギシと揺れ続けるために恐怖心さえ持たされた初めての体験でもあり、その後の被害様相も含めて一種のカルチャーショックとなった地震である。

 注:釜石では「津波てんでんこ」の教えが徹底していて、小中学校の生徒が犠牲者をほとんど出さずに避難出来たという話を思い出す(「釜石の軌跡」と言われている)。このドラマの舞台となった亘理町あたりでは、この教えが徹底していなかったのだろうかとの恨めしさに似た気持ちも拭い切れない。今後は全国的に広めたい考え方であることを付記しておきたい。